農村娯楽第一の八木節は、栃木県八木宿の清三から起り、明治20年頃八木宿と新田郡木崎宿とを往来し、得意の美声で有名になった。その後大正頃堀込源太(栃木県人)と矢場勝(旧山田郡矢場川村)の両名が、それぞれ音声と節まわしとを工夫し、はやしもととのって、今日の盛大のもとを作った。

 養寿寺 国定忠治の墓